今でしょ!の林先生の早期英語教育反対派のTV番組の後から
『早期教育』の是非について唱えているものが
なんだか私の周りによく見えるようになってきているのですが。
『早期教育』
『早期英才教育』
ってそもそもなんなんだろうね?
それこそ私は赤ちゃんの頃からいろいろやってきているけど
確かにバイリンガル育児も赤ちゃんからだし
確かに遊んでるおもちゃは知育玩具に偏っていたし
確かにお友達と遊ぶ時以外は
入り浸ってた緑地公園や動物園にも
図鑑的なものを持っては行っていたけれど。
それは生まれ持って出て来てる
多言語の回線の英語部分を消さないようにと
子供が『何回しても楽しい!』と
気に入って遊ぶおもちゃがそういう系だったのと
子供の『なんで?』について
一緒に調べて考えてみたかったからで
はたから見たら『早期教育』にしか見えなかったのかもだろうけど
姫ズにとっては興味のある事して毎日過ごしていただけ。
(と、私は音入れのスイッチがプラスされてたけど)
『早期教育して』の響きは
大人が子供に早くから教えてあげている
もしくは、教え込まれている。
という響きで入ってくるし
大半の人はそういう意味で受け取っているんだろうけれど
確かに世の中には
テストで高い点数を取りやすくするため、
とか
単純に教科的な暗記力を高くするための。
いわばお受験向きの早期教育もあるけれど
子どもはいろんなことを知りたい。みたい。
その時にできる精いっぱいの自分で納得したい。
ママ側のただそこをできるだけ精いっぱい満たしてあげたい、
『今日も一日楽しかった』と満足して眠って欲しい
と思って過ごすだけでも
見え方が同じになったら早期教育と呼ばれる不思議感(笑)
大人より子供の方が能力が高い。っていうのは
私的には周知の事実だと思ってたんだけどそうじゃない人もたくさんで。
大人の方が子供よりもえらい。
って根本で考えている人のタイプは
教えこむっていうイメージでしか捉えられないのかもなー
と最近思い出しました。
大人が子供よりもたくさん知ってて
大人が子供に教えてあげる
なんて大人の驕りなんだろうね。
教えてあげよう。
なんて気持ちで子供に接すると
間違えが間違いにしか見えなくなりやすいし
自分が正しいとしか思えなくなりそうなのになー
大人目線では間違いや失敗な事でも
子供目線ではまず最初は間違いや失敗じゃなく
『この方法じゃなかった』という事が知れた事実なだけ。
物事をマイナスに捉えずに飲み込んでいくタイプに育てられるかっていうのは
子供のすることを間違いや失敗に受け取らせない言葉がけにかかっていると思う。
『早期教育』や『早期英才教育』っていう呼び名に変わる
なんかポジティブな子供主体の呼び名があればいいのにな。
やってることは子供に能力を足していっているんじゃなくって
もどもど生まれた時から持ってる才能を
いかに無くさずにそのまま大きくしてあげるかなのにねー
思考があっちこっちでまだ多方面に広がって行っているけれど
たまには思いつくまま書き留める感覚で書くこういうのも
個人的に好きですが、見に来てくれた人のお役立ちではなくすみません💦
寝起きの独り言のようなブログにお付き合いくださってどうもありがとうございます(*^_^*)